「庭を考える(1)」
.jpg)
.jpg)
庭空間について考えてみたいと思う。
【庭を作るという仕事】
“庭”には生命が宿るといわれている。
空間を構成する要素、つまり植物を材料として使うことが多いため、
主としてそれらが生長する事を指しての話であろう。
生長が著しい樹木に「時間よ止まれ!」といったところで、
無駄な抵抗にすぎないことは周知のとおり。
また、住宅における“庭”づくりは、施主と時間をかけて話し合いプランをつくる。
現場に於いて、そのマスタープランの狙いをどこまで忠実に実現できるかを根幹にしながらも、
現場での裁量や施主の意向などにより、
様子を変えるという融通性、柔軟性を含んだ仕事ともいえる。
その空間に共感できる美しさがあれば尚良し、と感じるものである。
【美しい庭・雑木のある庭】
写真が多く含まれる“雑木の庭“に関する50年程前の本を読んでみた。
その中に昭和を代表する造園家・小形研三氏(1912年~1988年)のコラムがあった。
その中の要点をとらえてみると、
・「雑木の効果というとたくさんある。樹姿が、素直、率直で、あること。
鋏をいれて人工的にいじめぬいて作りあげた庭に見られない美しさをもっている。」
・「雑木は、単独で、他の庭木の中に使ってはおもしろくない。何本か集まり、
その美しさをたすけあい、協調しあってはじめて雑木本来の美しさを発揮する。」
・「雑木が庭木として優れている性質の他の一つに、配植の自由さがある。」
・「雑木は春の芽先が特に美しい。芽の出だしから新緑、深緑いずれもよいが、
葉の落ちたあとの樹幹、樹枝の美しさはまた別格である。」
と、技術や知識を持ち合わせながらも“美しさ”への追求が“雑木の庭”、
しいては“庭”空間には必要であると小形氏は言っているに違いない。
ごく自然の美しい景観の一部を写し取ったものが日本の“庭”であるとよくいわれる。
それは日本画家・横山大観が描いた《山路》など、多くの日本画などからも見てとられる。
生命が宿る“庭”空間を構成する素材、いわゆる樹木や石などを理解し、
共感が持てる美しさへの追求が、現代において今後さらに必要であると私は考える。
㈱安行庭苑 安藤
参考文献:小形研三「雑木の庭と構成の妙」『雑木と雑木の庭』誠文堂新光社、1977年
※画像はイメージ。国登録有形文化財「平田家住宅」庭園 (株)安行庭苑 設計・施工・管理